バイオグラフィー ファウンデーションコース 2
前回の続きです・・・
ファウンデーションコースの内容をここで書き出すと、とてつもなく長くなってしまうのでそれはやめておきますが、私の中の意識が大きく変わったことがあります。
参加された方々は、私からしたら素晴らしい方ばかり。お医者さまや通訳・教師・・・・海外で学ばれた方がほとんどで、シュタイナー教育にもそれぞれに関わっていらっしゃいます。
劣等感・・そう・・私は劣等感のかたまりになったのでした。もちろんそれにとらわれてばかりいるわけでなく理性で収まる範囲ではありましたが、確実に存在していました。
ありがたい事にバイオグラフィーの講座を受けているわけですから、そんな自分の感情も興味深く見ることが出来ました。ふとした時に
「私のこの感情は、この劣等感という感情は・・どうしてこんなにいつも私に付きまとうの?経歴・容姿 そんなに気にしているということは私が誰かを見るとき、そこを判断基準にしているの?それはとてもイヤだ・・・ん?自分がイヤだと思う感情も劣等感なら・・・一体どうすればいいの?」本当にどうどう巡りでした。
私に気持ちの変化が現れたのは、やっと天気が回復し体調も整い始めた3日目・・・どのシチュエーションでその思いが頭の中に浮んできたのかは思い出すことが出来ませんが、話しているときにその考えは急速に確信に変わりました。
「なぜ、私はこの地(岐阜県)を離れようと思わないのか」
シュタイナー教育を学びたい。その思いはもう動くことはない。そのために今回のように東京に来たりはする。そのために家族はとても協力してくれるし金銭的にも援助してくれる何よりとても応援してくれる。
「今の私だから・・・この環境の中だからこそ色んことが理解できるのか」
私は導きを感じずにはいられませんでした。生まれた土地からほとんど出ることなく現在まで暮らしいる。その土地のものを食べ、その土地の気候・習慣に親しみそしてシュタイナー教育にもであった。
「シュタイナー学校があるところの子だけがシュタイナー教育を受けられるのか」
この地にはシュタイナー幼稚園は存在するし、園の数も多い。0歳~7歳の第1 7年期というとても大切な時期をそんな場所で過ごせるのはとても素晴らしいことだ・・・でもその後は?
そのことを考えてビーンズという窓口を開いた。もちろん素晴らしい方々が岐阜の地にもシュタイナー学校をということで運動をされていた。諸事情で叶う事はなかったが、熱い思いはそこにあった。
私はここで、シュタイナー教育をつないでいきたいのだ。
そしてもう一つ 母国語でシュタイナー教育を学びたいのだ。
幸いな事にシュタイナー教育をドイツやイギリスアメリカで学び、熱い思いとともに日本でそれを伝えてくださる先生もいらっしゃる。いつかは私も海外に出て学びたいし、広い視野も求めたい。
でも、今は今の私の土台を支えてくれるこの地で、家族がいる場所で母国語で、私なりに理解しながら学びたいのだ。
・・・コースの始まりの朝 いつも歌をうたってたのですが・・・。春の歌・・・隅田川や朧月夜 日本の美しい言葉がつかわれている情緒あふれる素晴らしい曲。本当に日本語は美しい。
最近ようやくその日本語の素晴らしさを感じ、言葉を駆使して気持ちを相手に伝えたり受け止めたり出来るようになって来た。そんな言葉で学ぶ・学べる。それはとても幸運なことだ。
それを確信したとき。劣等感や焦燥感がうすくなった。(消えてはいないのが残念!)私のとってとてもとても大きな気付きだったのです。