祈り…

 

3月の22日~25日まで、バイオグラフィーワークのワークの学びが東京 日野のメルセス会修道院にて行われました。

上の写真は、メルセス会修道院の周りの梅です。玄関の前のしだれ梅は満開で、ピンクのかわいらしい色がとても美しく、また香りも濃くて思わず深呼吸をしたくなるようなかぐわしさでした。

しだれ梅は満開でしたが、その他の梅はまだ4分咲きくらい。修道院は小高い丘の上にあるのですが、その道中の脇にずっと梅の木があるので、満開になったら、梅の香りを楽しめるというでしょうね。

さて、今回も惑星のワーク。相変わらずとてもハードなスケジュールでしたが、あっという間の4日間でした。

ここでは書ききれないたくさんのことがありましたが、その中で金星の質をみる、東山 魁夷のバイオグラフィーの発表を聞かせていただきました。

自分たちで行うワークとはまた違う出会いをいただき、更に深く考えることとなりました。本当に感謝です。

今回の中で改めて思ったことは。『人智を尽くして天命を待つ』この言葉の重さでした。

ワークとは直接的には関係がない(かな?いやあるのかな?)かもしれませんが…

様々なことを学びそして体験して、知識としても得ることができたとしても、それを自分の“腑に落ちる”という体験を経過して自分なりに変容し、どう外の世界に出してくかが重要であると思います。(そしてそれには終わりがないようにも感じます)

それを信じて、学び活動していく中でも先の見えない不安感や迷いが出てきてしまうこともあります。

そんな時、前に進む為に必要なものの大切な一つには純粋な祈りがあると思うのです。

祈るということを真剣に受け止めたのは 最近のことのように思う。

思いが大切・・・ということは どんな自己啓発本にも書いてあるし

気がつくということが大切であるということも…

実際に自分の生活の中でおきる様々な出来事の中で、自分の中で意味づけしたことによって

見えなくなってしまうこともあるのかもしれない。

よし、私は気がついた。よし、私は真剣に受け止めた。と思ってもただの通過点や思い込みだったら

それはなんと愚かで滑稽なことなのだろうか。

そんなことを考えていた。

自分の固定観念の中で、その価値基準が無いと自分はまっすぐに立っていられなくなるような道徳的なことや、相手を守るための保守的な思いを持ったとしても、それが偏っていたとしても、私はそれを手放すことができない。

そんなことを、思っていると、どうしていいかわからなくなる。

八方塞で、祈ることさえも 逃げる為の自分勝手な行為だと思っていた。

それでもろうそくに火をつけて、手を合わせ祈りの場をもった時

心の中がすっと落ち着いてきたのは紛れもない事実

私は 愚かで 何も知らない 祈り言葉もうまく口にできないけれど 

私は 成長をしたい

どうか、お導きください。

私は その導きに気がつくかどうかわからないけれど、 自分の目の前にあることに対して誠実に 自分に言い訳することなく できることをしたいと思っています。

感情に支配されてしまうこともある

でも、どうか 私が 私の“しごと”のために努力をすることができますように。

どうか どうかお導きください。

私と私のまわりのすべての人と カルマに合う形で 関わりあっていけますように。