日々の学び

連休中に言ったイチゴ狩りの時のイチゴ。

甘い香りに誘われてたくさんいただきました。いろんな種類のイチゴが栽培されていて、私は「あきひめ」がお気に入りでした。

連休が明けなんとなくまださわさわしていたのですが、日々は確実に動いています。

毎日の中で色んな学びがあるのだと改めて気がついたことがあります。

それを私に 言葉や態度で伝えてくれる 私の“師”の存在に心から感謝します。

今週も色んな体験をしました。

まず、ものすごくひさしぶりに オイリュトミーをしました。

オイリュトミー…って言葉で説明することはものすごく難しい。シュタイナー用語辞典には『心地よく美しい均整のとれた、という意』…と記されているだけ。もともとそんなに簡単に説明できないものなのだろうな…と思います。

そんなオイリュトミー、私もわからないままずっと疎遠を決め込んでいましたが、以前の名古屋でのオイリュトミーのイベントで久々のオイリュトミー公演鑑賞で心を揺さぶられ、壁島清恵先生の教室で学ぶ(といっていいのだろうか…体験?)をさせていただきました。

音楽や詩ににあわせての色んな動き…個と全体・呼吸のような動き・流れや風を感じ 限られた中でのある種の自由さ…

今思い出しても 深呼吸をしたくなるような心の自由さや人とのかかわりや自分というモノの存在の確実さを感じました。

言葉に出し、文章にするとなんだかめちゃくちゃ大そうな感じになるのですが、この感覚はファーストインスピレーションに近いのではないか・・・と思います。

実際、私はオイリュトミーの体験は過去にもしたことがあるので、今回始めてオイリュトミーをしたわけではないのですが、この感覚は本当に始めて。

きっとオイリュトミーを専門的に学ばれている方ならもっと詳しく説明できるのだろうと思いますが、私は『オイリュトミーは宇宙の法則に適っているのだ』と思ったのです。

私たちは身体を持ってこの世に生まれた時点である種の不自由さを持っていますし、この地球に生まれた時点で宇宙の法則が存在し、その法則によって私たちの物質的な部分も霊的な部分も影響されています。

その、根本的・基本的な真理がオイリュトミーの様々な決められた動きの中にあるのだろうし、その決められた中での心の自由さがとても心地がいいのはとても納得できます。

すべてが両極のバランスを持って、その両極が真ん中でしっかりとたつには必要なのならば『自由』というものの真反対には『束縛』もあるのだろうし、そればなければ心の自由は感じられないのかも知れないな…(束縛でいいのかな?不自由なのかな?…なんかそんな感じです)と思います。

まだ、久々のしかも1回しか体験していない私ですが、きっとこの感覚は初めての人(厳密には初めてじゃないけど…)しか味わえない感覚なのかなと思うのです。

素晴らしいオイリュトミストである影島先生だからこそ、この感覚を体験できたのであろうと思うと、やはり感謝の一語に尽きます。

導いてくださってありがとうございます。

また、よろしくお願いします。