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13日は母の日でしたね。

ということで、私もお墓参りに行きました。

実家のお墓には母と祖母が眠っています。祖母の命日は5月10日なので、ちょっと遅くなりましたがそれも兼ねてのお参りです。

上の写真はその場所の写真。写真で見るとものすっごく山奥にある感じですが、山は近くにありますが山奥ではなく、とてもよく整備された静かな霊園です。

敷地内に斎場もあり右の写真がそれ。 わかりにくいかもしれませんがデザインがしゃれていて前の池には蓮の花がたくさん咲きます。今はまだちょっと早いので、ほんの少ししか咲いていませんでした。

この日は家族それぞれ用事があり、私独りの時間ができたので、特に予定は立てていなかったのですが思い立っていくことにしたのです。

お花はカーネーションとカスミソウにしました。

お墓を参る…特に宗教的な義務感や強迫観念(?…粗末にしてるとたたりがあるとか?)はないのですが、その場所を訪れて、この世にはいない人に対しているように語り掛けたり思いやったりするのはやはり特別な感覚になります。

いわゆるパワースポット的な感覚なのでしょうか…。

そんな時には色んな思いが頭をめぐります。

最近いろんなことがありました。自分の中の気づきと共に、自分の嫌な部分を自己嫌悪だけではなく、自分の一部として受け入れるということが必要となるような体験をすることができました。

…って書いても何のことかわからないですよねぇ(^_^;)

一つ目はウォルドルフ人形つくりの時の私の盲目的な態度に対して、本来の目的をやさしく諭してくださった師 福井光子先生(スウェーデン羊の詩舎講師)のおかげででの気づき

もう一つはバッチフラワーの仲間と 恩師 プロフェッショナルバイオグラフィーワーカーでバッチフラワーのPTT講師でもある 中村かをるさんのおかげでの気づき…。

特にバッチフラワーの仲間には今でも申し訳ない気持ちでいっぱい…それと共に私を受容してくれたことの感謝の思い。

まだ、自分の中で未消化の部分があるのでここでは書ききれないこともあるのですがいつかお話できたらな・・・と思います。

そんなときに読み返した本 涼風書林から出ている『赦しの隠された意味』の最初に レフ・トルストイの

「神を真に理解しているものが考えることは、自分の兄弟を許すこのという必要性などではない。むしろ、もっと早く兄弟を許せなかった自分を赦せるかどうかである」

という言葉を読んで、さらにズンと心にきたのでした。

あぁ、私は目的を勘違いしていた。自分の純粋な思いがいつしかそれに変わっていることに気がつかず、善しとしていた…野望と野心駆られて行動するところだった。さすがはアーリマンとルチファー。

その思い上がった心を、自らの痛みと愛を持って私に知らせてくれたすべての存在に ただ ただ感謝する。

私にまだそれに気付くことのできるひかりがあったことに、その天使の存在にも感謝します。

…やっぱり変な人…って文章だけ見ると思いますよね  …って ここで予防線張っちゃうところが まだまだあまい。