手仕事

今日は娘の中学校の運動会。

そういえば運動会と私が言ったら『体育大会!!』と娘に言い直されたんでした(#^.^#)

最近は暑すぎたり 修学旅行の兼ね合いだったり 受験の備えだったりしてこの時期に運動会をすることが多くなったようです。

去年までとても力を入れていた応援合戦は、今年は練習時間がないとの事でなくなっていたので、少し残念。

さっき、こっそり(?)見に行ってきたのですが、ちょうど学年別学級対抗リレーをやっていました。

いつの時もリレーは盛り上がっていましたねぇ。頑張れみんな!

さて、昨日はウォルドルフ人形講座の最終日でした。

いつもながら福井先生の講座は素晴らしい。さすがプロという風格と技術です。

私はお母さんが(お父さんでも おばあちゃんでも おじいちゃんでも!)我が子のために心を込てお人形を作ること自体が、子どもにとって何物にも変えがたい素敵なプレゼントになると思っているのですが、さらにとても大切なことがあると思うのです。

ウォルドルフ人形はシュタイナーの思想から生まれたお人形です。

第1 7年期(0歳~7歳)の子どもたちは ファンタジーの世界に生きています。大人でいう物理的・理論的な世界ではなく 想いの中ではすべて可能な世界の中に住んでいます。

ネバーエンディングストーリーの作者 ミヒャエル・エンデはシュタイナー教育との関係がとても深い方なのですが(ネバーエンディングストーリは映画にもなりましたね)

その中で“幼心のの君”が、バスチアンに語りかけるシーンがあります。

幼心の君の手の中にほんの一粒の砂があります。本当に小さい砂の粒ですが、その粒は輝いています。大きかった国もほんの一粒の砂になってしまった…と、バスチアンにその砂の粒を見せました。バスチアンはとても戸惑っています。もうみんなにはあえないの…と聞いた時、幼心の君はバスチアンに、あなたなら私の国で何がしたいの?と問いかけます。

戸惑っていたバスチアンの目が急に輝き、宙を見つめ微笑みながらこう言います…

『僕だったらね…』

その瞬間、すべての世界がまた元に戻ったのです…

子どもたちの想像の世界はそんな力を持っているのです。

ただの木の切れ端は積み木にも車にも電車にも鳥にもムシにもご飯にもお水にも…ありとあらゆるものになります。そんな『想像の余地』がとても大切になるのです。

そういった意味でウォルドルフ人形も考えられています。かわいらしい小さな目と口は笑っているようにも泣いているようにも怒っているようにも寂しそうにも嬉しそうにも…見えます。

子どもたちは自分と同じ気持ちをお人形の表情の中に見て安心し癒されていくのです。

羊毛の適度な弾力や ジャージの抱き心地やさわり心地しっかりと考えられて作られてこのお人形はどんなにたってもかたちが大きく崩れません。それはやはりプロである専任の講師が ちゃんとした材料を使って 教えてくださるから…そういうことも大切だということがわかりますね。

講師の先生が素晴らしいのは、プロとしての技術(的確に伝えることや個人差にあわせること)以外にも どんなお人形が子どもたちの手元にいって欲しいか…ということ、お母さんの愛情+確かな出来上がり その先にあるその子の心の癒しと成長のために…ということを常に考えてくださっているからだと思います。

私も今講師の修行中ですが、そんなことをいつも考えられる講師になりたいなぁと心から思います。

何より…私が幸せな気持ちになれるので、あぁ ありがたいなぁ~と思うのです。