曇天の日に

勘違いの花

昨日までの雨が残っている朝、本当は春に咲く花が勘違いして咲いていました。

寒そう…

寒そうなんて言葉が出てくる季節なんですね。

でもまだ天気は不安定。体調にお気を付けください。

でも、私は実はこんな「曇天」の日が結構好きなのですよ。

お家の中にいて手仕事をじっくりとしたりする雰囲気がするので、何か落ち着いた気持ちになります。

でも、秋の高い空も好きだし、やっぱりバランスですね。

先日、バッチフラワーの読書会があり、『バッチ博士の遺産』最終章の8章をみんなで読んでいきました。

読書会は、その都度進行役が変わり、その進行役の個性で、会が進められます。

何か趣向を凝らすという訳ではなく、進行役の方が意識していることをテーマにして、会の初めの近況報告をする時にみなさんとシェアします。

バッチ博士の遺産の読書会ですし、会の仲間やその場の力も借りて、毎回色んな事が自分なりに深まっていく気がします。

『困難さに立ち向かう』

なんていうと、ものすごく苦しい気がします。

力づくて捻じ曲げるように克服するなんてことは、それこそとっても苦しいのでしょうが、本当の「克服」はそういうことではないのかなと思います。

克服とは癒しが必要だと思います。

『癒し』という言葉の印象は人それぞれですので、その根本的な定義に共通認識がないとちょっと話が食い違ってくるかもしれないのですが、

バイオグラフィーワークやバッチフラワーの思想・哲学的な面でいう癒しは、受容とメタモルフォーゼ(変容)だと思います。

今の(過去からの)自分を受け入れるのがつらいから頑なになったり、苦しい。

そんな自分を変えたいと思うから、困難。

言葉にするとなんて簡単なんでしょう。

ごまかしたり、自分や相手を責めることで解決した気になるのではなく、物事の根本を見る。

こんな私が嫌だから違う自分になる…んじゃなくって、芋虫が蝶になるように私の中の可能性が私のまま変容していく。

被害者意識とか現実逃避とか…私も たっくさん 向かっています。

でも、バイオグラフィーワークやバッチフラワーに出会って、必要な困難さとのバランスの良い付き合い方がわかって気ような気がします。

facebookから

これは脅しとか、そういうことではなく、ただ単に事実だとおもいます。

突き放すのわではないのですが

『成長をしなければならない』ということでもないと思うのです。

成長しないことが『悪』ではないのです。

でも、成長しなくてもいいということでもないのです。

苦しみと一言で言っても、のたうち回るような苦しみってことだけが「それ」ではなく、ほんのちょっとして事でも表現するとしたら、苦しみとしか言えませんよね。

大きくても、小さくても、いわゆる「苦しみや困難を感じている」ということは、意識に上っているか上っていないかは置いておいて、実は気が付いているということなのだと思うのです。

『苦しみ続ける』というのは決して罰ではなく、自分自身を解放するときのいわゆる『生みの苦しみ』だとおもうのです。

だからきっと苦しいだけの恐怖ではなく、勇気を持って進めば 新しい何かに出会える緊張的な怖さと新しい何かを得る喜びを感じるのではないかな、と思うのです。

それが大きな勇気でも、ほんのちょっとした勇気でも。

その準備が出来るタイミングは人それぞれだと思います。

意識をしていることが「追い求めている」ということではないかなと思います。

毎日を大切に生きる。現実的な『今』を生きる。地に足を付けて、私が私の人生を歩む。

幼い子どもたちは、世界のすべてが未知です。天使がいつもそばにいて守られているお子たちと私たちは違いますが、

きっと天使は私たちを信じて離れて背中を押してくれていることでしょう。

こういうことを書くと何がすごーく宗教的ですよね(^_^;)自分でも違和感があるのですが、やっぱり真実だと思うのです。