雨だから…書いてみました

私がシュタイナー教育と出会ってから、もう20年ほどになります。

本格的に学び始めてからは12年ほどになります。

改めて書くと、そんなになるんだなぁと思います。

でも、理解でき始めたのは本当に最近です。

もちろん、まだ学びの途中ですが(#^^#)

昔がむしゃらに、でもわからない―――と思いながらも取り組んできた学びは、今は少しづつ生きる糧と共に私の中に入ってきています。

今は、意識魂の時代。

自我がしっかり自分の中に入っていながら、霊的なものとつながる。

日本人という 民族的に なかなか難しい。

ほんの最近までは、親が決めた人と会うこともなく結婚したり、戦時中は思想統制されていた。

巫女的な存在が今でも受け入れられていて、自分の意思とは関係なく神の声を伝える

教育も、みんなと一緒がよかったり 自分自身を確立できない

でも、そんな霊的なものを十分認識している 日本人だからこそ自我が確立したらすごいんじゃないかなぁって思うのです

物質的なものと 霊的なものが、両方とも同じレベルで存在し どちらかに偏ることなく、自らの課題と取り組んでいく。

この身体がないと、取り組んでいけない。

昔 大天使だったルチファー (大天使の時はルチフェルという名前)

自らの悪しき意識を隠し その闇にのまれてしまった。

大天使も 悪にのまれる

そして、アーリマン。

2つの 行き過ぎた憧れと 行き過ぎた情熱の存在。

どの存在にも、両極が存在し そのバランスをとる。

アーリマンとルチファー間のキリスト存在。

霊的な存在は必ずあるけれど、目に見えない。

私はその目に見えない存在を意識するにはやはり身体を通すしかないと思う。

いまを生きることだと思う。

今 は 過去からの自分の集大成。自分の生きてきた証をすべて今が抱えている。

物質的にも、肉体的にも。

前世も、今世も。

今を真剣に見つめて、自分に真剣に取り組むことは、霊的な部分に必ずつながっていて 自分の中に響いてくる。

ハイヤーセルフ(魂の記憶)は覚えている。

私が今、自分自身の心の闇、感じる様々な感情 痛み それを見つめること

喜び 感謝し 心が温かくなる思いは 前世おも癒す。

やりたいことだけやるんじゃなくって やりたいことじゃなくてもやらなきゃいけないことから逃げない。

逃げても逃げても、繰り返しやってくることは 自分の課題で逃げちゃダメなこと。

苦しくてもそれを乗り越えた時に、必ず魂の喜びがある。

痛みもあるだろうけど、それも愛おしい自分の一部だと受け入れる。

これが自分の生きる道だと思ったことも、違う時もある。

それを手放すことがどれほど苦しいか。

考えるのもこわくなる

そういう意味で、乗り越えることのできることしかやってこない

間違えることが必要だったってこともある。

一生懸命考えて行動してそしてアカンかったら それはショウガナイ。

人智を尽くして天命をまつ。

昔の人って すごいねぇ  その通り。

地に足をつけて、やることをやる。

そして、霊的なものは必ずあって それは特別じゃないと確信する。

そう 物質的なものと全く同じ。

だってあるもんね。

真理はシンプルで単純なもの

純粋な美しいものは 本当にシンプルなのだろうと思う。

…こんな雨の日だから ちょっと書いてみました(^^ゞ