バッチフラワーのこと

バッチフラワーの勉強会を隔月におこなっています。

ptt(バッチ国際教育プログラム)のレベル1以上の方の集まりで、ビーンズで和気あいあいと行っています。

先日は、年度末年度初目&GWということで、ずいぶん久しぶりの集まりになりました。

こうやって定期的に集まることは、モチベーションアップにもつながるし、お互いとても勉強になるし

何より、お会いできるのがうれしいですね。

私は、最近よく

「千亜紀さん、なんか柔らかくなったね~」

と、おっしゃっていただくことが多く、うれしいやらお恥ずかしいやら…(^_^;)

恥ずかしいというのは「私そんなに堅かったんだなぁ」と改めて思うからです。

私は…

何かまじめすぎて、何でも猪突猛進で、それでいてどこか自分に猜疑心を抱いていたりしていたので

自分の発言や周りの発言に対して、必要以上に構えてしまったりしていたのだと思います。

発言も”ドストレート”なので、そっけなくとてもきつく感じられてしまっても仕方がない感じでした。

(もしかしたらまだその名残があるかも…気を付けなければ(;^ω^))

めんどくさいやつ だったんです 今より以上に

(今も、マニアックなところに引っかかったりする変わり者ではありますが)

バッチフラワーを始めたころも

困難あってこその成長だろうと思って、バッチフラワーを素直に受け止めることに抵抗があったり

持ち前(?)の猜疑心で斜に構えたりしていました。

でも、バッチ博士の哲学を読んで、シュタイナーの哲学とても重なるところがあり

自分のことならごまかしてしまいそうなことも、バッチフラワーとの出会いが息子に対する感情についてだったので、それもあり飲み始め向かい合いました。

正直、実感としては変化はわかりませんでした。

それでもまじめなところも逆に功を奏し、飲むなら飲まねば…と続けていました。

すると…しばらくして飲み忘れることがあるようになりました。

何度も書くように変にまじめなので、ルーティーンのように飲んでいましたし、どこかすがるようにも飲んでいたので

とても、心が重い時は忘れるはずがなかったのですが、飲み忘れるようになったのです。

変化は実感できないようなというのは、変化が起きていないようなないようなくらい自然な変化だったからなのだと

振り返って思った時に、そういえば…あれだけ心に引っかかって常に考えていたことが違う感覚で自分の中にある

と気が付いたのです。

魔法のように心配事が消えてなくなるなんてことは、生きている中でめったにあることではなく

日常生活の中では、自分の考え方ひとつで世界が変化していきます。

バランスをとる

マイナスな感情はプラスの対極にある。

端っこと端っこにならないように、自分自身のバランスを取れたらよりわたしらしいわたしになるのだな

と、改めて思います。

そんなこんなで、バッチフラワーの恩恵に気が付くことができた「わたし」

私が私の世界を創っていくんですね

ありがたや ありがたや(#^^#)