私のおしゃべり ~変わること 変わっていくこと~

先日…ブログの中で

「お詫びとお願い」

ということで、不確かな予定…のお話をさせていただきました。

 

変化の中には

徐々に変わっていくことと

急に変わってしまったこと

があると思います。

 

ビーンズのお隣に建つ住居は生活の場として3世代同居をしていおります。

 

かつては、4世代同居7人家族でしたが

大おばあちゃんが101歳の大往生で逝き

息子は大学からこの地を離れ今も版れて暮らしています。

 

そして、また変化の波がやってきています。

 

“老”と向き合う

 

生きていれば誰もが向き合うことです。

 

その中で、自分の軸をあらためて見て、その時に何をするのか

 

大げさに聞こえるかもしれませんが

小さなことと感じることから 大きなことと感じることまで

自分自身が決断をしていきます

 

その中で 変わっていくこと

変わってしまったことに対して 受け入れて その先に自分がどんな自分でいられるかを見ていくこと

 

色んなことを思います。

 

自分の感情の中で「隠したい 話したくない 言い訳を考えてしまう たてまえをいってしまう」ことが

こんなにもあって

それを「悪いこと」だと感じている。

 

悪いことって何だろうか…と妙に突っ込んで考えてしまっています。

 

でも、バッチフラワーレメディ―使いとしては

自分の感情の奥を見つめる作業や

 

アントロポゾフィーを学ぶものとして、バイオグラフィワーカーとして

総合的に見る今の自分のことを、学びとしてみていくことは

 

ある意味興味深いこと。

 

自分の中で、分裂する思考と感情 とても複雑に入り組んでいます。

 

先日のトレーナーズコースで

シュタイナーの言った「人類は、境域に立っている」

という意味を、どう理解するか…という課題にとってもとっても苦労して

 

コースの中で、何か少しの光を見た気がしたけれど

 

今私が経験していることは

 

まさに境域に立っている自分なのだなぁと考える。

 

思考と感情と意志のバランスを自我でもってとる。

 

ほんの少しでもそのバランスがくづれると あっという間に自分自身が立てなくなってしまう

 

自分を責める感情や 保身の感情 被害者意識やねばならないという頑固さは

裏を返せば

責任感や 抱え込んでしまわないように共有する大切さや、誠実さにつながる。

 

孤独は自分自身を見つめるためには必要なのかもしれないけれど、

その孤独に押しつぶされないようにするためには

やはり人とのつながりが何よりも大切で、それは「生身」のものでなければ意味がない。

 

この変化の時に自分を救うのは 安心して“孤独”となれる人と人とのつながり…愛なのだな…と

 

この言葉に行きついてしまうのでした。

 

義母は介護認定の度合いが1段階上がり

老犬タロウ君は今のところ寝たきりになりました。

 

人間の場合はサポート体制がたくさんなるので(それでも不十分なところもあるのでしょうが)大丈夫

 

老犬の介護は その都度対応していきますが、少しご迷惑をおかけするかもしれません。

 

それでも、命は 私に学びをくれます。

 

つらつらと書くといつまでも書いていそうです(^-^;

 

今自分のできること その中で したいことを、生き生きとしていきます!(^^)!