時を重ねるということ

ウォーキングコースのちょっとしたお気に入りの場所

桑の実✨✨

いくつか桑の木があり、この桑の木の実が一番甘くておいしい。

いつも人目を気にしつつ、自然の恵みを楽しみにいただいています。

 

すごくお年寄りの(に見える)桑の木もあって

とっても”風格”があって大好きで、木の幹に触って話しかけたりしていたのですが、

昨年、大幅に剪定され

「散髪でさっぱりした感じ…かな」と、なんとなく心配しつつ見守っていたのですが

剪定前はたわわに実っていた桑の実も、

今年は一つもなく寂しい(@_@。

でも、きっと今年は英気を養っているのだね…と

心で話しかけつつ、横を通り過ぎています。

 

この桑の老木はいったいいつからここに立っているのだろう

変化をそのままゆっくりと受け入れて”生”として時間の流れの中で見事に存在している

その存在に畏敬の念を持たずにはいられません。

 

先日

何とほぼ40年ぶりに、高校時代の友人と旅行に行きました。

『40年ぶりの修学旅行』を合言葉に、おばちゃんたちの珍道中です(●^o^●)

大吉をゲットして 気分も上々😆

本当に本当に、うれしいたのしい時間でした‼

感謝 感激 雨あられです!(^^)!

 

そこで、新たな不思議な気持ちが生まれました。

 

高校時代から今まで「友人」として心の中に確かに存在していた彼女たち

30代から40代なる頃、それぞれの環境が大きく変わっていって

そこから個々の考え方や価値観が微妙にずれていくことは当たり前のことなのですが

私は、どこかもやもやした感情をうまく受け入れることができない感覚もありました。

 

私はアントロポゾフィーを知って、その世界に深く感動し、そして学びたという心の火をともしたことで

何か、固い壁を無意識に作っていたのかもしれません。

深く思考する癖がついていましたし、

日々のワークやコンサルテーションの中で、記憶をコントロールする癖もついていたように思います。

 

“忘れる” “漂うように感情を流していく”

ということに、どこか罪悪感を持つようなところもありました。

自分の発言は自分の意志の結果として責任を伴うというような ガチガチの価値観も多かれ少なかれ存在していました。

(このことを否定的にもっているのではなく、いわゆる少し大げさに、自分の癖を表現しています)

 

「気が付かないことは存在しない」というように

過去の”もやもやした感情”をもって彼女たちと会っていた私は

なぜもやもやしているのかわからないまま、ただの愚痴や表面的な発言に対して

声に出さないではいましたが、いちいち反応してはあきらめたり、がっかりしたりすることが多くありました。

 

なので、一時は全然会わなかった時期もありました。

それぞれの家庭の事情もあったり、忙しさにかまけたり…

それでも、根っこにある感情は「好き」なままなのです。

もやもやは存在していたとしても、会うと嬉しいですし、

「友達」のありがたさはそのままなのです。

 

そして、時を経て“過去のそんな思い”を抱えつつ旅行にいたことで

私の愚かさを思い知ることがありました。

 

彼女たちの口にする愚痴や軽口は『表面』でしかないと

彼女たちの根っこは正真正銘自分の人生と向き合って善も悪もひっくるめて

ちゃんと現実を生きているということ

原因と結果の法則にのっとって、出来事は起きている

人間は裏も表も光も闇もあり

両方存在していて、それでいい

彼女たちの人生で、彼女たち自身が引き受けるものは、私のあずかり知るところではなく

私は、ただ信じればいいのだと…。

私が、勝手に決めつけてもやもやしたり批判的になったりして、

勝手に壁を作って、彼女に寄り添えなかったことは

 

私の問題なのだと

 

この単純明快なことに

気が付きました…腹に落ちました。

 

なんと私は浅はかで奢った人間だったのかと

そして、

よくぞそこに気が付けたと

相反する思いを持つことができました。

 

50代も中ごろになり やっとある意味厄介な感情『愛』が理解できるようになり

客観性も備わってきて、腑に落ちる感覚と共に他者に対する『畏敬の念』を改めて得ることができました。

 

家族 友人 感謝 愛… 強ければ強いほど 気が付かず無意識に作る壁の大きさ厚さがあり

近ければ近いほど難しいことがある。

 

あの、桑の老木のように、外から来たものをそのまま受け入れで自分のものにし、生きていく

そんな畏敬の念を府に落とすことができたのは始まりに過ぎず

これも固定観念として持つのではなく

いかに生き生きとした自由なものを育てていきたいという思い

これは希望と言えるのではないかな と思います。

 

忘れる や 漂う ことを まるで妖精のように 楽しめるといいなと思います。